酢酸エステルの視野を広げていく研究!?井上翔也さん研究インタビュー

酢酸エステルの匂いと炭素数や分子構造の関係について研究をしている井上翔也さん。井上さんの研究の内容や研究を始めたきっかけ、酢酸エステルについて詳しくインタビューを行いました。

アルセド 最初に、自己紹介をお願いします。

井上 早稲田高等学校1年生の井上翔也と申します。

普段は科学研究部という部活で、カルボン酸(少なくとも一基のカルボキシ基を有する有機酸)の一種である酢酸エステルの匂いと炭素数や分子構造の関係について、実験に加え、理論的な計算などのためにPCも使って研究を行っています。

世の中には非常に単純な構造をした、酢酸エステルという物質群があります。その物質群の多くは香水や天然香料にも含まれています。

酢酸エステルには色々な種類がありますが、その種類が分子構造によってどのように変化するかに関する研究例は結構少ないんです。そのため、酢酸エステルに対する視野を広げていく研究でもあります。

アルセド 酢酸エステルでも種類ごとに香りが違ってくるということですか?

井上 そうですね、酢酸エステルの中にも色々種類があり、その種類ごとに香りは異なります。

アルセド なるほど。

井上 酢酸エステルは高校の化学でも学ぶ内容ですが、酢酸とアルコールを脱水縮合させて化学的に合成されています。そこで使用されるアルコールの炭素数がそのまま酢酸エステルの側鎖の炭素数になっています。

アルセド そうなのですね。井上さんの研究で用いられる酢酸エステルの炭素数はどれぐらいなのでしょうか?

井上 現在私が公開している研究の範囲では、炭素数が2から4のアルコールを用いています。

アルセド 井上さんの研究の独自性はどういったところにあるのでしょうか?

私の研究の独自性は、異性体(分子式は同じだが構造が異なる物体)と呼ばれる、炭素数が同じでも分子構造が異なるアルコールを酢酸エステルの合成に用いているところです。

アルコールの分子構造が変わると合成される酢酸エステルの分子構造も変わってきます。

炭素数は同じでも分子構造が異なっていたら匂いは変わるのか、という仮説を立てて研究をしてきました。

まず炭素数には直鎖と側鎖の構造があり、直鎖の炭素数が2から4までの3種類の酢酸エステルを比較すると炭素数が増加すると匂いがだんだんと変わってきます。このことから、炭素数の増加によって徐々に匂いが変化していくということが分かります。

アルセド なるほど。

井上 次に構造異性体同士です。

C3体(炭素数3)だと、2つの構造異性体があります。この2つの匂いを比較してみると、大きく異なる匂いがしました。 ここで酢酸エステルの構造の変化による匂いの変化が実験で明らかになりました。

次にC4体(炭素数4)のアルコールを使って考えていきますが、C4体には構造異性体が計4つあります。そのうちの一つであるTert-Butyl alcoholというアルコールの合成はほとんどできなかったので、検討から外しました。そのため、残りの3つのC4体のアルコールで酢酸エステル合成を試み、匂いを比較しました。この3つ同士の比較を行うと、あまり匂いは変わりませんでした。

構造異性体であっても匂いが変わる組み合わせと、匂いがあまり変わらない組み合わせがあることがポイントですね。

アルセド 匂いの測定は機械的な測定か、人間の嗅覚による測定のどちらで行っているのでしょうか?

井上 人による官能評価(香りの測定)です。現段階では、化学的な香りの研究は全体的にあまり進んでいません。そのため、香りの質を判別できるような機械が仮にあったとしても中高生が手に届くような価格ではないので、人による官能評価で実験を行っています。

アルセド ありがとうございます。ちなみに匂いを嗅ぐ方は、井上さんお一人なんですか?

井上 私に加え、何人か周囲の人を呼んで、評価を行っています。

アルセド 様々な匂いの中で、似た匂いの評価はどのように行っていますか?

井上 いい質問ですね。匂いを比較する時に、匂いの表現方法は色々あると思いますが、私の研究では匂いをグループに分けて評価しています。グループに分けて行なって、先程までの話で匂いが違うと言っていたのは、匂いのグループが違うということになります。

匂いのグループが同じ酢酸エステル同士に関しては、匂いがほとんど同じようなものとみなして研究を進めていったということになります。

アルセド そのグループ同士で、重なりはあるんですか?例えば、甘い匂いと酸っぱい匂いのその中間みたいな匂いもあったりするんでしょうか?

井上 そういった場合は、甘くも酸っぱくもない別の表現を探して、そこに入れ込む感じになりますかね。

アルセド 別の表現で言うと甘酸っぱい、みたいな感じですかね。

井上 現時点の私の実験の範囲では甘酸っぱい香りはありませんが、今後調査をしていく時にありうるかもしれません。

たたみ 様々な匂いの中で刺激臭はありますか?

井上 酢酸とアルコールの縮合があんまりうまくいってない時に、未反応の酢酸が多すぎると、よく知られている酢酸の酸っぱい感じが強くなります。

たたみ そのように匂いが強い時は、ドラフトチャンバー(研究室などに置かれる有害物質を排気するための装置。以下ドラフト)で実験を行っているんですか?

井上 はい。普段はドラフトを用いて実験を行っています。

たたみ なるほど。井上さんのSNSを拝見し、中学生の頃から実験をされていることを知ったのですが、当時から学校などでドラフトを使用していたのでしょうか?

井上 はい。元々は早稲田中学・高等学校の旧校舎で実験を行っていたのですが、僕が中学3年生になった時に新校舎ができ、ドラフトの状況が改善されたため、実験の調子が確実に上がりました。

たたみ そうなのですね。

アルセド アルコールと酢酸を混ぜる割合について教えてください。

井上 モル比は等量で混合し、合成しています。

アルコールと酢酸を、普段はそれぞれ0.05molずつ混合させています。触媒の濃硫酸はそれよりも少量を加えてます。

私が現在行なっているのはそれを2倍の0.10molずつ合成してみてその匂いが、どう変わってくるのかという実験です。0.05molのときの匂いと0.10molの時の匂いは別の分類になるのではないかという風に考えられる部分があるので、それについて比較検討を行っています。

アルセド つまり、量による匂いの変化を調査されているということですか?

井上 そうですね。

アルセド 研究の面白い点はどういったところでしょうか?

井上 面白い点は、人間の嗅覚には現代でも謎が多い部分があるところです。そのメカニズムに抵触していく研究になっていくので化学的な研究ではあるんですけれども、生物学的な価値もある研究なのではないかなと自負しております。

また、やはり構造異性体同士の匂い比較には、あまり行なわれていない部分があるので、そこを売りにしています。

化学的な異性体による匂いの変化っていうのは多数報告されているんですけれども、構造的な変化で匂いが変わることに関しては、報告例が少ないです。

加えて、今は量子化学計算という手法を用いて電子状態とかを計算して、物質がどのように嗅覚受容体と反応していくのかを考えています。例えば、こういう分子は反応しやすいけど、こういう分子は反応しづらかったなどの違いから、こういう香りの違いも伴って出るんじゃないか、みたいな考察ができたらいいなと思っております。

アルセド では、逆に研究で苦労したところはありますか。

井上 実は以前は色んなカルボン酸のエステルを作って、今回の酢酸エステルと同様に比較検討をしていました。

酢酸エステルでいくと面白そうだな、と思ったのは去年の9月頃です。サイエンスキャッスル※に応募する際に焦点を絞ることになり、顧問の先生と話し合って酢酸エステルが特に面白そうだから、研究対象をそこに絞っていことにしました。

その前には、酢酸エステルの前に酪酸という酸を使って実験をしていました。酪酸は大変強烈な香りを発するため、実験をする時に苦労しましたね。

※サイエンスキャッスル:株式会社リバネスが運営する中高生研究者による世界最大級の学会。https://s-castle.com/

アルセド 飛び散ったら大変ですね。

井上 大変です。拡散してしまうと色々なものに吸着してしまうので匂いを完全に消すのに数日を要しましたね。

アルセド そうなんですね。次に、研究を始めたきっかけを教えてください。

井上 元々、有機化学に凄く興味があったので、研究テーマは有機系でいこうかなと考えていたんです。でも、中学高校の部活ですから出来る実験ってある程度知れているので、その中でもできそうな実験だったり面白そうなテーマ考えていくところで、エステルの匂いっていうのに、目を付けてやってみようかなとなりました。

アルセド なるほど。

井上 最初から酢酸エステルに焦点を当てていたというより、こういうテーマができそうだなって妥協した部分が結構多いところがあります。実験していくうちに、結構面白いなと感じました。

アルセド エステル以外に研究対象の候補はありましたか?

井上 エステル以外にもあるにはありましたが、意外と合成が大変だったため選びませんでした。

香料は生物や自然由来のものが結構多いため、今であれば生合成や生物学などに関連づけて考えられるなと思っています。そのため、今研究のテーマを決めるとしたら少し変わった切り口になっていたかもしれません。

アルセド ありがとうございます。研究分野の好きなところはどういったところでしょうか?

井上 私の研究では分野が多岐にわたり、一つに定まらない部分があります。構造と匂いの関係、物性の関係なので、構造有機化学の分野になるとは思いますが、生物有機化学などの色々な分野に渡るのではないかとも思っています。それが研究の面白さの一翼を担っているとも言えますね。

研究が色んな分野に渡っていると、考察の手法がひとつのパターンに定まらない、深い考察ができるのではないかと思っています。例えば、構造有機化学の研究ではあまり使われない人間の嗅覚の仕組みを使ってみたり、逆に、生物有機化学の考察や議論では使われない量子化学計算とかを駆使してみたりすることができます。

面白いところは想定外な結果が出るところですね。物性値と匂いの関係について調べるのが私の研究になるんですけど、物性値と匂いの相関が当てはまらない分子があります。その扱いが結構結構難しかったんですけど、逆に面白いと思っていましたね。全部面白いって言っちゃったら乱暴なんですけど、結構学術的な意義はある面白い研究なのではないかなと思っています。

アルセド 研究以外の趣味や好きな事について教えてください。

井上 化学ですかね。

アルセド やはり化学がお好きなんですね。

井上 そうですね、もう化学が無いと生きていけないです。趣味ですと、中学3年の3月まで水泳を続けていました。

アルセド 次に、研究以外にしている活動があれば教えてください。

井上 去年は千葉大のGSCに取り組んでいました。今年は今とは全く異なる研究をやろうと思い、研究計画書を書きましたが、リジェクト(拒絶)されてしまいました。

やろうと考えていたのは、全合成という、より安い原料から自然に有益なものを作る研究です。ただ学部の4年や院生の人でもかなり難しく、負担の多い研究なので、私にはまだ出来ないかなと感じています。

有機化学の反応では、少ないステップであるほどいいと言われています。しかし、短くてもその1ステップ辺りの有機反応にかかる時間が長かったりすると大変ですし、そのステップが失敗だった場合やり直して、また新しい合成方法を考えないといけないんですよ。そのため、時間も労力も金もかかる研究です。到底今の学校ではできないです。

アルセド なるほど。大変そうですが、将来その研究ができる機会があればいいですね。

井上 そうですね。機会があればリベンジしたいと思います。あとは、全国科学部連合という組織の運営をしています。

アルセド 今後の進路について教えてください。

井上 大学の化学科などに進んで、有機化学の研究を続けていきたいと考えています。

分野としては、先程言った全合成などを極めていきたいと思っています。しかし、今のテーマにも相当愛着があるので、生物学的な実験を深めるって意味でも、生物有機系の道に進んで、酢酸エステルの匂いの謎を全部解明するのもありかなと考えています。

アルセド 夢がありますね。次に、将来の夢について教えていただけますか。

井上 将来の夢は、有機化学の歴史を変える事ですかね。100年後に有機化学を学習する人が、教科書を見て「ああ、この井上翔也っていう人が、この分野の歴史を変えたんだな」と分かるぐらい偉大な成果を残していきたいですね。

他の分野も考えていますが、中学の3年間はずっと化学に費やしてきたため、もう後戻りはできないかな、と考えています。

化学の中でも色々ありますが、さっきも言った通り全合成に圧倒的な興味があります。

アルセド なるほど。主に全合成をやっていきたいということですね。

井上 大学に入って進めていけたらいいなと思っています。

アルセド 次に、Larva06の読者に向けてメッセージをお願いします。

井上 ぜひ、有機化学の面白さを知っていただけたらなと思っています。有機化学が苦手な人も問題演習を積めば、いずれできるようになると思うので、沢山やってもらえればいいんじゃないかなと僕は思っています。

アルセド 最後に、化学に関しおすすめの教科書や参考書などがあれば教えていただけますか?

井上 受験の化学なら『鎌田の有機化学の講義』というものがあり、僕もそれを使っていました。化学の『標準問題精講』などもおすすめです。

大学の教科書は、私が使っていたのは『マクマリー有機化学』と『ボルハルト・ショアー現代有機化学』という書籍です。今は『大学院講義有機化学』という本を使って、主に勉強しています。

アルセド 詳細にありがとうございます。本日はインタビューに応じてくださり、ありがとうございました。

井上 ありがとうございました。